カテゴリー「勉強しよう!」の21件の記事

流れをつかめ!

外は風が吹き荒れていた。
今日の作業は屋内の予定だったので、仕事に支障はなかった。
どういう作業かというと、さつまいもの泥を落とす作業。
収穫した後のこの作業が結構時間がかかる。
あんまり強くやると皮がむけるので、柔らかい布切れで優しく拭いていく。
泥をすべて落とすわけじゃないので、
食べる前には洗ってください(=゚ω゚)ノ o(_ _)oペコッ

で、その作業を午後甥っ子に手伝ってもらった。
今、彼は社会の公民を習っているので、この作業が流通のどこにあたるかを話して、
その後、試験に出る歴史用語ベスト3は何かわかるか?と質問した。
う~~んと考え込んだので、じゃあと歴史ストーリーを語り始めた、自分のためにbleah

暗記モノは間が空くと忘れてしまう。
そろそろ受験期に入るので、歴史のポイントとなるところは復習しておかないと、
質問されても出てこなかったりする。
いつもこの時期にひと通り社会の用語の総復習をしておくのだけれど、
この時期は農業が一番忙しい。
昼間は外で農作業をやって夜は屋内作業というのがパターンだ。
そうすると当然勉強の時間も減るわけで、こうやって甥っ子を利用したり、
テープを流したりしながらなんとか踏みとどまっているcoldsweats01

ちなみに、ベスト3は何かと言うと、
摂関政治、武家諸法度、勘合貿易、だ。
まぁ、統計の取り方によって誤差はあるのだけれど、
この3つの用語は広がりを持つので、キーワードとして使える、
だからよく出題されるのだろう。

例えば摂関政治から、摂政とは何かを考えると、そこから聖徳太子にもつながるし、
関白という用語からは豊臣秀吉にもつながる。
当然、摂関政治を行った藤原氏、
摂関政治という政治の形態から、執権政治、院政、建武の新政、
そういうつながりから、どんどん枝葉を伸ばしていく。
聖徳太子だと十七条の憲法、冠位十二階、遣隋使、
遣隋使からは、遣唐使、唐の律令政治、大宝律令の二官八省、
などなど、どんどん連想ゲームのようにつなげていけば相当数の重要用語を覚えられる。

どうして、こういうことを書いているのか?
気付いた人もいるかもしれない。
そうです、ブログを利用して復習しているのですbleah

友人が長崎に旅行した、そこでお世話になったのは友人の学友なのだけれど、
彼から僕へお土産があるといって、今日の夕方持ってきてくれた。
そのお土産はそうめんらしい。
どんなものなんだろう?と中身を見たら、
表箱に「島原一揆」とある。
ちょうど甥っ子がいたので、島原天草の乱は何時代?と尋ねてみた。
そこからまた江戸時代の話が始まった。
そう、僕の復習のためにbleah

僕らの頃は「島原天草の乱は何年か?」なんていう問題も出たけれど、
最近はそういう年号を問うような問題は出ない。
年号を覚えることが歴史の勉強ではない、ということだろう。
時代背景が問われたり、歴史の流れが問われる。
ただ、節目節目では年号を覚えておいた方が歴史の流れをつかむのも楽になる。

島原の乱は、1637年なのだけれど、
その200年後、1837年に起こった乱が大塩平八郎の乱、
1603年に江戸幕府が開かれ、その30年あまり後に島原の乱があり、
大塩平八郎の乱が1837年にあって、その30年後に江戸幕府は終わりを告げる。
江戸時代はこの2つの乱をキーワードにして考えていくと、
時代の流れをつかみやすい。

と、自分の復習のために書いていることがミエミエになってきたので、
この辺でやめときますcoldsweats01

今日の夜、48歳までカウントダウンが始まった僕にビッグなプレゼントがあった。
話の流れがそんな方向に行くとは思わなかった。
自分が関わる歴史は何が起こるかはなかなかつかみにくい^^

なんと、東京行き、決定!!
しかも、スポンサー付き!!
ま、スポンサーがつかないと今の僕の経済状態じゃぁ行けないけどなhappy02

台風一過、雨上がりの空に輝く月を、
天草四郎も眺めただろうし、
大塩平八郎も眺めただろう、
その月を僕も眺めながら思ったことは、
人間の歴史っていうのは短くてせつなくもあるし、
大塩平八郎の乱から63000日あまり月日が経っていることを思うと、
ただただその時代に生きた人間が生まれて死ぬまでを
繰り返し繰り返し紡いでいくようなものでもあるなぁ、
と、同じ月を眺めたであろう菅原道真の気分に浸ったり、

・・・することはなく、
2週間余り先の東京行きのことで、
今度はどこを歩こうかなぁ?
なんてわくわくしているだけの、
丑年生まれのオヤジでありましたhappy02


lovelylovelylovely
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ほっかいどーあおもりいわてあきたやまがたふくしま

いぐろのやまにまつたけいっぱいまつたけいっぱい~、

これは日本史の歴代首相の覚え方。
伊藤博文→黒田清隆→山県有朋→松方正義→伊藤博文→松方正義→伊藤博文
ちなみに僕は覚えなかった、日本史は最悪の点数だったからなぁ^^
塾生から何かいい覚え方ないかなぁ?という質問を受けて、
ネットで探したらこういうのがあった。

今日は友人の車を借りて貸し農園に。
もう3週間行っていないので、草が相当だろうな、と思い、
前回同様、助っ人をお願いした。
友人の車がおいてある駐車場までとぼとぼと歩いていく。
その駐車場までは甲突川沿いを通って行く。
今日は快晴でこれがまた気持ちいい。
(クリックすると大きくなります)
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松方さんの銅像が建っている。
何回か歩いた道なのだけれど、そこに銅像が建っていることに気付かなかった。
碑文を読むとその理由はあっけなく解明、2008年6月に建立とある。
そう、そこを歩いたのは1年数か月ぶりということ。
糖尿発覚の頃はよく通っていた道なのだけどな。
最近は中央駅コースがメイン、方向が逆になるのでここはほとんど通らない。
昼間歩くととてもいい気持ちになるコースではある。
ベンチに僕よりちょっと年配の人が座っていた。
その人が立ちあがってトイレに向かった。
そのベンチの前を通るときにチラッとベンチの上に置いてある冊子を見たら、
求人案内、だった。
中高年になってからの職探しはホントに大変だ。
なんか仕事が見つかるといいなぁ。

今日借りた友人の車は初めて乗ったのだけれど、
乗り心地最高で、快適だった。
もうこのまま東京まで高速に乗ってしまいたくなるくらいdash

夕方高速船の会社から電話が入った。
明日も欠航です、という。
流木が流れていて、今高速船が走っていない。
明日種子島に帰ろうと、塾の予定をシルバーウィークに変更していた。
明日から安納芋畑の草取りの予定を入れていたので、まいったなぁ、と思ったけれど、
なんだか、まだ完治じゃないようで、血尿が朝から止まらない。
今日は、そんなに無理したわけじゃないんだけれど、
ま、とりあえず、ゆっくり休もうと思った中高年ですbearing

県名の覚え方としていろいろあるのだけれど、
一番手っ取り早いのは、地図を見ながら声を出して、下記を吟じること。
今、覚えてない人も30分声を出し続ければ、ほぼ完璧です、たぶん^^

ほっかいど~~ あおもりいわてぇ~ あきたやまがたぁ~
           みやぎふくしまぁ~ 1道6県東北地方~

にいがたぁ~~ とやまいしかわふくいぃ~ やまなしながのぎふぅ~
           しずおかあいちぃ~ 合わせて9県 中部地方~

いばらきぃ~~ ちばとちぎぐんまさいたまとうきょうかながわぁ 1都6県関東地方~

しがぁ~~ きょうとひょうごおおさかぁ~ わかやまならみえぇ~ 2府5県近畿地方~

やまぐちぃ~ ひろしましまねぇ~ おかやまとっとり5県の中国地方~

かがわぁ~ とくしまこうちえひめ4県で四国地方~

おおいたぁ~ ふくおかさがぁ~ ながさきくまもとぉ~ みやざきかごしまおきなわぁ
         8県だけど九州地方

これを書いている最中にトイレに行ったら血尿が止まっていて、
ホッとして、ゆっくり眠れると思った中高年であります。
身体は大事think


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作文の書かせ方

作文の指導が結構好きで、案外得意だ。
まぁ、得意と言っても、やり方はそんなに難しくないのだけれどhappy02
どういうふうにやるかというと、
生徒にインタビューするような感じで、
生徒の言葉をどんどんパソコンに打ち込んでいく。
箇条書きで構わない。
テーマさえ決まれば、後は質問攻めにすれば、どんどん埋まっていく。
それをつなげていけば、相応の作文になる。
後は、起承転結の転をテーマから外れたところから持ってくればいい。

このやり方はパソコンだからこそ、のやり方で、
しゃべっている言葉をそのまま視覚的に捉えられるところがいい。
また、作文が苦手だという生徒が、自分の言葉で文章は作れるんだ、
と実感できるのも利点だ。
今日もこのやり方で作文が苦手だという生徒が素敵な文章を作った。

今日からまたアスファルトの上を歩く暮らしが始まる。
そしてまた来週、土の上を歩く暮らしになる。
こうやって全く異なった環境に自分を置くことで、
違った角度や視点で物事を感じたり、自らを省みたりすることができるようになった。
この感覚がとてもいい。
始めてしまったらもうやめられないなぁ。
そのためには、もうちょっと生徒増やさないとなぁthink

作文が苦手だという生徒は「文章を作る」という作業に面倒くささを感じる。
だから「文章を作る」という考えから一度離れて、
「思っていることを語らせる」という作業から入れば、
ほとんどの生徒が400字詰め原稿用紙3,4枚程度の作文であれば書けるようになる。
ただ、これは集団指導ではできない。
と、ちょっと個別指導の利点を紹介しておこうbleah

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状態として

モノは部品に分解できる。

自動車は、「エンジン」や「タイヤ」や「ドア」など、多数の部品からできている。

その部品も、更に小さな部品に分けることができる。

どんどん分解を続けると、「鉄」や、「アルミ」や、「ゴム」など、
原材料の塊になる。
 
それらの素材は「原子」が集まったものだ。

モノは原子の組み合わせによって成り立っている。


それでは、その原子の内部はどうなっているのか?


原子は「原子核」と「電子」という部品からできている。

どんな種類の原子でも原子核は必ずひとつだが、電子の数は異なる。

電子が1つなら「水素」、

電子が2つなら「ヘリウム」、

電子が3つなら「リチウム」、 

水素も、ヘリウムも、リチウムも、
どの原子も同じ部品(電子)からできている。

電子という部品が「いくつ」入っているか?

その「数」の違いがあるだけだ。

このことは、全部で約百種ある原子の全てにあてはまる。

「水素」と「鉄」と「カルシウム」は、
どう考えても同じ部品からできているとは思えない、

それは原子よりも大きい世界での常識であって、

原子の内側のより小さい世界に入った途端、

それまで「質」の違い(水素や鉄のように中身の違い)と信じていたものが、
(電子の)「量」の違いに姿を変えてしまう。
 


原子の内側と外側には、全く異なる2つの世界がある。 

原子の部品は「電子」。

電子はすべて同じ、
なのに、その同じ電子がいくつ結びつくかの差だけで、
約100種類の原子が出来ている。

このような特異な性質をもった部品のことを「量子」と呼ぶ。

電子は「モノ」といっていいのかどうか?

例えば、海水は「モノ」だが、波は「モノ」ではない。

波は海水の「状態

スタジアムの観衆がウエーブをおこしているとき、個々の人は、立ったり、座ったりの上下動を繰り返しているだけで、左右方向には動いていない。

waveという「状態」は左右に大きく動くけれど、
「モノ」である各人は小さく上下に動くだけだ。
 


もし、電子がモノなら、
「林檎を2つ集めてミカンになる」ようなことは起こり得ない。

電子は「1つなら水素、2つだとヘリウム、3つでリチウム・・・」となる。

ということは、電子はモノでなくて「状態」だとわかる。

その電子の数が増えるというのは「状態」そのものが変化するということになる。


世の中に存在するものはすべて約100種類の原子の組み合わせによってできている、
例えば水は「水素」と「酸素」からできている。
水素と酸素の違いは、水素は電子1個と原子核から出来ている。
酸素は電子8個と原子核からできている。

電子という同じ部品から、その個数の違いによって別の原子になり、
それが組み合わさって「水」になる。

目の前にあるこの空気もどんどん細かくすれば原子になり、
さらに細かくすれば電子という「状態」になる。
当然、僕ら人間も同じだ。
原子の部品である「電子」というもとが状態であるのなら、
僕らがこの世に存在していることも、それも状態として考えてもいい。

そうなると、今、こうやってブログを書いているということも、
頭の中でいろいろと考えていることも、
この意識というものも、

この空間はすべて「状態」、

状態であるのなら、人間が生きているということも、死ぬということも、
時と空間の流れの中の一瞬の出来事でしかない。

自分の存在自体がそういう状態と考えられるようになれれば、
生きていることも死ぬことも、自然に受け入れられるようになるんじゃないかなぁ?と。

たぶん、それが生々流転とか色即是空とか空即是色とか、
また、Let It Be、とか、imagineとか、
そういう世界じゃないかなぁ?と思っている。
そういう境地を感じることができたら・・・、
いいなぁ、と思うのだけれど、

どうだろう?

伝わったでしょうか?^^

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声に出して読むと

志賀直哉の「城の崎にて」は日本文学を代表する名文として知られている。
この文章を模写することは文章力を上達させるコツのひとつらしい。
名文と評価される文章は声に出して読むとよくわかる。
句読点の打ち方が絶妙で、す~~っと読むことができる。

以前、絵本の話を書いた。
あの、細野さんの地元後援会の方が気に入ってくれたヤツだ。
タイトル名は、ぼく、あいにきたよ (文藝春秋)
以前住んでいた家の隣が新聞販売所で、
その事務所の棚に絵本がずら~~っと並んでいて、
その中の1冊がそれだった。
新聞代を払いに行ったときにその棚を眺めていたら、
そこの従業員の方が、この本はとてもいい本だから読んでみては?と勧めてくれた。
そして、読むときは声に出して読んでください、と言われた。

国語を教えるときも音読をさせている。
小説文を声に出して読ませる。
声に出して読むことで脳が刺激され理解が深まる。
以前住んでいた住居は広かったのでひとりのときも音読していたのだが、
今住んでいるところは一間だから声が横にも上にも漏れそうな気がして音読できない。
塾生には音読させるけど、ひとりのときはなかなかできないなぁ^^

城の崎にて、は以前から読もう読もうと思っていたもの、
短編で読了するのに10分もかからないのだけれど、
だからか?後回しになっていた。
黙読で読み始めたのだが、いつのまにか声を出していた。
名文と言われるものを読むとついつい声が出てしまう。
名を残す作家というものはさすがだな、と実感。

ぼく、あいにきたよを声に出して読むと涙が止まらなくなる、そう言って貸してくれた。
声に出すと感情は素直に出てくる。
僕が涙をこらえられたのは途中から音読をやめたからだと思う。

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読み比べてみる

僕は中学高校時代、英文法が全くわからなかった。
高校のときに配られた短文暗記のための問題集。
その訳がどうしてそうなるのかがわからなかった。
これを暗記すればいいというけれど、
なぜ、そういう訳になるのかがわからないのに、単純に暗記など出来るわけがない。

どうやって英文法をマスターしたかというと、
基礎からわかる英文法の本を何種類も読み漁って、
そこに書かれているエッセンス
(・・・英語のことを書いているのでちょっとかっこつけてみたbleah
ま、英文法の最も大切な要素はなんだろう?と、それを探した。
2,3冊読んだら、あぁ、これかぁ、というものが見えてきた。
確認のため、10種類ほどの英文法本を読んでみた。
英文法を理解するために、まず、押さえておかなければならないこと、
それは、「品詞の理解」であることがわかった。
品詞を理解していないと、英文法を理解することは不可能。
品詞を理解すると、英文法はどんどん理解できてくる。

共同通信社という会社がある。
この会社は、国内外のニュースや写真、記事関連のデータを全国の新聞社や地方局に、提供・配信する会社だ。
例えば、南日本新聞社のような地方新聞社は、
世界各地や各都道府県に支社を置くことができない。
莫大な経費がかかってしまう。
そのために、共同通信社から記事の配信を受けて、
世界、または他都道府県のニュースを流している。
今回の西之表市のあの先生のニュースも共同通信が配信したから、
各地方紙に載っている、だから、記事の文面はまったく同じだcoldsweats01

ま、それはいいのだけれど、
同じテーマの本を何種類も読んだりすると、理解が深まるからいい。
また、いろんな角度から見るということは自分の思考の範囲も広げることにつながる。
例えば、1月22日の各新聞のコラムはほぼすべて、オバマさんのことだった。
それぞれにいろんな切り口があっておもしろい。
http://www.asahi.com/paper/column20090122.html?ref=any(朝日新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20090121-OYT1T01152.htm?from=any(読売新聞)
http://sankei.jp.msn.com/world/america/090122/amr0901220332004-n1.htm(産経新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20090122ddm001070072000c.html(毎日新聞)
あぁ、僕は、毎日、各紙のコラムを読んでいるわけじゃない、
テーマが重なるだろうなぁ、という日に読んでいる。

ネット世界が広がってから、日本全国の地方紙が読めるようになったので、
便利になった。
より豊かな情報の中でものごとを見ることによって、
柔軟にものごとを考え、総合的な判断もできるようになってくるんだろうな、と。

http://www.47news.jp/
左側に各地方紙の「コラム一覧」というコーナーがあります。
南日本が一番いいなぁと思うのは、身びいきだろうなwink

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深呼吸

深呼吸をすると気持ちが落ち着く。
ブドウ糖と酸素がなければ、僕らは呼吸できない。

ブドウ糖は体の中で食べ物からつくられる。
三大栄養素の一つ、炭水化物だ。
炭水化物の中でもデンプンは、ブドウ糖がたくさんつながってできている。
ごはんにはデンプンがいっぱい入っている。
だから、ごはんをよく噛んでいると甘く感じる。

どうして、山羊が紙を食べるかというと、紙の原料になるセルロースもデンプンと同じで、
ブドウ糖がたくさんつながっている。
だけど、つながり方が違うので人間は消化できない、けど、山羊は消化できる。
デンプンだろうが、紙であろうが、
分解してブドウ糖にしてしまえば、栄養分は全く同じになる。

体の中でも脳細胞はブドウ糖しか利用できない。
血液中にある決まった量のブドウ糖が存在しないと生きていくことはできない。
前の日に夕食で食べた炭水化物、それから摂ったブドウ糖は肝臓で貯蓄される。
脳は寝ている時でも活動してブドウ糖を使う、
けれど、脳はブドウ糖を使うだけで貯蓄はしない。
朝起きた時には、前の日に肝臓に蓄えたブドウ糖のほとんどを脳が使ってなくなっている。
そうすると、血糖が下がって頭が働かなくなる。

「朝ごはんをちゃんと食べなさい」

呼吸のときに必要なものの、もう一つの酸素は体の中でつくることができない。
酸素を取り入れるために、僕たちは呼吸する。
ブドウ糖は肝臓に蓄えることができるけど、酸素はためておくことができない。
だから、僕たちはいつも呼吸をしている。
深呼吸をしたら気持ちが落ち着く理由もその辺りだ。

心によって人間は動かされている。
心をはたらかせているのは脳だ。
脳を活かすかどうかはその人次第。
脳を活かすと楽しいことがいっぱいある。
中学時代の勉強は、その脳を活かす基礎作り。
勉強すると、幸せをいっぱい感じられるようになる。

ホント??

たぶん^^

勉強は深呼吸をしてからがいいな。

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太陽が照れる島

学生時代に、ある先生が、
「勉強ができるようになる方法」を最後の講義の最後に教えてやると言った。
最後の最後にその先生が言ったのは、
「勉強を好きになることだ」と。
まぁ、当然のごとく明るいブーイングが起こった^^

中学時代の担任が話していたのは、
「金持ちっていうのはお金がある人のことなんだ」と、
それが、大学4年間でやっとわかった、ということ。

当たり前の結論に至るまでにかかった時間は人それぞれで、
その長さに意味があるわけじゃない。
意味があるのは、それを考え始めたこと自体にあると思う。
あぁ、今は思う、ってことで、当時はそんなふうには思わなかったけどなbleah

今日から、これから幸せになるためのひとつの方法として、
他人を妬むことをやめる、という方法がある。
それをやめた瞬間から、
人は「幸せ」が根底に流れる人生を歩むことができるらしい。

イタリアの科学者ガリレオ・ガリレイが初めて望遠鏡を夜空に向け、
宇宙への扉を開いたのが1609年、
2009年の今年は、400年の節目の年、とのことで、
「世界天文年」と謳い、いろいろな催し物が行われる。

我が故郷、種子島はもちろん、日食sunだ。
だからというわけじゃないけれど、便乗しよう^^
ホームページ、ちょっとリニューアル、ちょっとですwink
http://homepage2.nifty.com/tomono/

有名なガリレオ裁判は、ガリレオが昇進などをめぐるトラブルからはめられた、
という論が出ている。
これも妬みというヤツなんだろうか?
けれど、この妬みは世紀の妬みのような気がしないでもない^^
ただ、はめたヤツは不幸だったろうけど。

ガリレオが望遠鏡を空に向けて、ガリレオが見た宇宙の驚きと興奮、
そしてそこからガリレオが解き明かした宇宙の謎は、400年後の今もまだ続いている。
宇宙の謎の探求の始まりはガリレオの驚きで始まった、という。

「ガリレオの驚きを、みんなの驚きに」
これがキャッチコピー。

もっともっと人間が驚くことはいっぱいあるんだろうな、
この夏は、「太陽が照れる島」、種子島へwink

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鶏の一生

サイエンスチャンネルというサイトがある。
そこに、the making、という番組があって、
http://sc-smn.jst.go.jp/4/series.asp?i_series_name=THE+MAKING
さまざまな「もの」の、「もの」ができるまでが放映されている。

その中にマヨネーズがある。
http://sc-smn.jst.go.jp/ayyyymm/meta/aF980601-002.asx
マヨネーズはたまごを大量に使う。
放映されている工場では、1日80万個のたまごを使うらしい。
80万個だ、マヨネーズだけに。
日本人はたまごを、一人当たり年間平均330個食べる。
年間、約390億個。
それだけ供給できる鶏がいるということだ。

例えば、弁当についてくるマヨネーズや、即席焼きそばに入っているマヨネーズ、
マヨネーズはきれいに最後まで使い切る人より、
残す人の方が多いように思うのだけれど、どうなんだろう?

僕は糖尿発症後から一度もマヨネーズを食べていない。
食べなくなると、慣れてしまって、なくても平気になる。
要は慣れだ。

食料不足になったとしても、マヨネーズを国民が食べなくなれば、
たまごの供給は十分余裕が出てくるんだろうね、
なんて話しながらマヨネーズの話で盛り上がった。

マヨネーズを食べない日を作ったらどうなんだろう?
隠れて食べたらどうする?
たまごの白身はどうしてんだろう?
たまごの殻はどうしてるんだろう?
鶏は1日に何個卵を産むんだろう?
鶏どのくらいの期間産み続けるんだろう?

で、調べてみた^^

白身は、お菓子とかまぼこに使っている。
殻はカルシウム強化製品。
鶏の卵は、21日目にひよこになる。
ひよこは4~5ヶ月(150日)で成鶏(おとな)となり、卵を産み始める。
そして、生後6~7ヶ月(210日)ごろ、最もたくさんの卵を産むようになり、
その後1年から1年半ほど卵を産み続け、
だいたい2年ほどで加工肉として出荷。
産む個数は1日多くて1個、10日で7~8個がいいところ、とのこと。

僕くらいの年齢になると、なんとなく知っていることは増えてくる。
それを具体的に説明できるかどうかとなると、やや怪しい。

鶏の一生に関しても、彼の質問がなければ、こんなに深く考えることもなかっただろうな。
教えることは学びあうこと、ってことを実感いたしましたthink

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小学校の先生がとても大切である理由。

一つの「30人クラス」があり同じ先生の授業を皆真面目に聞いているとする。
皆が同じ授業を同じ態度で聞いて、皆同じ時間だけ自宅学習をしたとしても、
皆の点数は決して同じにならない。
何が違うかというと、吸収力、応用力である。
受験でも何でも生徒同士の差が出るのはその吸収力、応用力であり、
それ以外の要因、学習時間、学習方法、授業態度などは、それに比べれば影響が少ない。

幼稚園の指導は遊ばせることが一番だという。
その理由は、「遊ばせること」は、基礎知識を吸収する以前の能力を増大させるから。

頭をノートとし、そこに習った事を書き込んでいくと例える。
勉強時間は書き込む量、
知識量は書き込まれた量。

「遊び」の持つ効果は、その子のノートをより良質な、分厚い物にする。
そして、そのノートに書く字を綺麗に、見やすくする。
子どもの頃からいくらその子の頭、すなわちノートに「書き込ませ」ても、
薄いノートならそれは忘れられ、字はにじんでいく。
「遊ぶ」事によってノートをより良い物に、分厚いものにして、
ノートの字をより綺麗にする事が、幼児期に親がさせるべきことである。

またその方法は遊びだけではない。
脳に刺激を与える事を言う。
どこか新しい所にいったり、新しい物を発見したり、触れたり。
刺激は子どもにとって発見、驚き、不思議である。
子どもが眼を大きくして不思議な顔をしている時、子どもは急激に賢くなっている。



これは、以前、ヤフーブログに書いた、どこかの大学教授の理論。
これと同じようなことを脳科学者も述べていた。
早期の詰め込み教育はほとんど意味がないということだ。

算数の教科書はとてもよく出来ている。
小学1年生の算数で、
求残(初めの数量の大きさから減少したときの残りの大きさを求める)、
求部分(全体とその一部分がわかっていて、他の部分を求める場合)、
求差(2つの数量の差)、
この3つの減法を学ぶ。

求残は、7人で遊んでいて3人が帰ったら何人残るでしょう?
求部分とは、7人の友達がいて3人が男の子、女の子は何人でしょう?
求差とは、7人の男の子と4人の女の子、その差は何人でしょう?

求残は、取り去る操作を行う引き算であり、
求差は同時に2つの数量があり、その差を求める引き算、

教える順番も大切になってくる、求残が先であり、求差は後だ。
当然、教科書はきちんとその順番になっている。
加法の、増加(初めのある数量に増加する)と
合併(同時に存在する2つの数量を合わせた大きさ)
の違いもはっきりとわかるような指導内容になっている。

この違いが、中学生になってもあいまいな生徒が少なくない。
じゃましているのは何かと言うと、小学校に入る前の余計な勉強だ。
そこで、引き算、足し算を機械的にできるようになったとする。
そうすると、「そんな計算なら、わかるよぉ~~」と素通りしてしまう子どももいるだろう。
そういう子どもは学年が上がっていくにつれてわからないことが増えてくる。

足し算や引き算を就学前に学んでいたとしても、
同じ引き算でも違いがあることを理解した子どもは、着実に伸びていく。

学校で学ぶ授業をひとつひとつ丁寧に理解していくこと。
それがとても大切だ。
算数は「概念」の理解よりも「観念」の育成に重きを置いている。
数の観念とは、数に対する豊富なイメージを持つことだ。
そのスタートは、小学校の先生の指導から始まる。
そういう指導のプロ中のプロが小学校の先生たちだ。

・・・、ちょっと語ってるかbleah

少しずつ、47歳の塾経営者としての意見も書いていかないと。
つぶれそうでつぶれない塾だけどなhappy02

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